こんなものいらない

あって当然だと思っているが、よく考えるといらないもの、ない方が生活の質が向上するものを挙げていきます。

電車座席での通話禁止規則とクズカゴ撤去

電車の座席で座ったままで通話をすることは、通常、禁止されている。「デッキでやるように」ということになっている。

やかましいからか?だったら会話も禁止すべきだろうが、そんな規則はない。好き勝手に喋っている。

電波が体に良くないからか?これも違う。データ通信と比較して、音声通話が、特別電波強度が強いということはない。

歴史を遡ると、ペースメーカーと携帯電話との干渉を防ぐために、通話を禁止していた時代があった。双方のデバイスの改良により、今では問題がない。

しかし、通話禁止規則だけは残っている。データ通信は許されているのに!

ただ盲目的に過去の慣例を続けていると、こういうナンセンスなことが起きるという好例である。

同じことは、地下鉄内でのクズカゴ撤去でも言える。地下鉄サリン事件やトイレ青酸ガス事件の時から始まったのだが、サリンや青酸ガスはクズカゴに放り込まれたのではないのである。電車内やホームやトイレにおいて散布されたのだ。クズカゴを撤去しても、毒物散布の危険性は大差ない。揮発性の毒物は、むき出しである必要がないからだ。何か適当なバッグからでも散布はできる。

matome.naver.jp

メンバーズカード

僕は、以前、小売業で仕事をしていたことがある。

店長には、レジで会計をするときには、「メンバーズカードを発行しますか?」とは聞くなと命じられた。「いらない」と答える人が大半だからだ。メンバーズカードを持ってこない顧客には、有無を言わせず、カード発行して渡せというのだ。押し付けがましいにも程があるが、小売業は、何が何でもメンバーズカードを作りたいのだ。

カードを発行する理由はよくわからない。

次回の利用時に割引をすることで、リピート率を高めるという効果はあるだろうが、その割引率はとてつもなく低く、カードを持ち歩く手間と比較したら、無視できる程度だ。カードを作ることで、顧客満足度はかえって下がっているはずであえる。そもそも、割引に敏感なケチな客が増えたところで、利益は増えない。

他店との差別化にもならない。今や大半のチェーンストアがメンバーズカードを採用しているからだ。

店長は顧客第一と言いながら、実は、顧客の満足度はどうでもよくて、営業本部の上司の満足度を良くすることの方が重要なのだろう。

診察券とお薬手帳と健康保険証

日本の医療施設は、同様に、利用登録をすると、たいてい診察券を発行する。

これがとんでもなく煩わしい。受診するたびに、いちいちカードを探さないといけない。

記載事項は、医療施設の紹介以外は、本人の名前と、その医療施設が勝手にナンバリングした患者番号だけだ。

診察券を発行しないクリニックも知っている。そこは、予約や照会では、患者氏名と生年月日だけで対応してくれた。これで間に合うのだ。

予約をした場合、その日時を書き込むということもしているが、コンピュータでスケジュールを打ち込んで、予約券をプリンタで発行して渡せば足りる。カードに予約情報を手で書くなんて古臭いことをすべきではない。

診察券など単なる慣習でしかない。もうやめよう。

(附論)

保険診療をやってもらおうとすると、

  1. 健康保険証
  2. お薬手帳
  3. 診察券

という三種の神器が必要になる。ITを活用すれば、どれも不要であるが、1と2は政府側の対応が必要になる。しかし、3は、医療施設の個別の工夫で不要にできる。

部活動

公立中学校では部活動が事実上の必須プログラムになっている。建前は自由参加だが、「空気」によって強制されている。

部活動を毎日やっていたら、健康な中学生でさえ疲労はたまり、学力は下がる。

教師についても事情は同様であり、部活動は「業務」ではない。だから、賃金は支払われない。勤務時間は無制限であり、教師が過労になっている。平等性を確保するため、「教師全員顧問」を原則とする中学校もある。

部活動は、楽しいかもしれない(嫌いな人も多い)が、生徒のその後の人生に対しては、何らプラスの影響はない。時間を浪費するだけである。

部活動を「強制」されたくないからこそ、私立中学に子供を入れる家庭も多い。

活動時間を制限するというような話があるが、指導する人を確保する予算すらもないようだ。

部活動は、丸ごと禁止してしまうべきである。生徒と教師の疲労は解消され、学力は(生徒によっては)向上し、かつ、コストはまったくかからない。

インフォームドコンセント

インフォームドコンセントは無条件で善だと思われている。少なくとも、医学部入試で、受験生が、「医師は、患者の気持ちも同意も考慮せずに、好き勝手に医療行為をしてよい」などと答えたら、不合格だろう。

しかし、歴史的な成立事情を調べると、必ずしも患者のために作られたのではないことがわかる。

Amazon.co.jp: インフォームド・コンセントは患者を救わない: 名取 春彦: 本

インフォームドコンセントは、米国において、患者による訴訟から医師を守るために成立したのである。十分に説明し、リスクも含めて同意したのだから、結果には文句を言うなということである。

名取春彦氏は言う。

「医療はパターナリズムである」

相対的に弱者である病人を助けるために行う行為が医療なのだから、父権主義的にならざるをえない。

また、中立的な説明は人間にはできない。患者に良かれと思う治療方法を、優先して説明するのは当然だし、患者がそれを拒否するなら、他へ行ってくださいと答えたくなる。

医療行為を、書類を使って、言葉で説明することはできる。しかし、その医療行為が実際にどんなものかは、わからない。自分で体験して、はじめて、その辛さがわかる。インフォームドコンセントで了承した以上、どんなに辛くても、誰にも責任を負わせることができない。

インフォームドコンセントの大半は、患者のためではなく、医療者が、自分の利益のためにやっているのである。

チーム医療

僕は医学部6年の時に、研修病院の採用面接で、その病院の看護部長から、

「チーム医療についてどう思うか」

と聞かれて、

「あなたの考えるチーム医療が何なのかわからないので答えられない。3ヶ月くらい一緒に仕事したら答えられる」

と回答したら落とされたことがある。

8年目の今となって、ようやく、チーム医療の一般論を答えることができる。

それは、小田原評定と無責任と自己満足と高コストである。

チーム医療では誰がリーダーになってもいいという話がある。では、看護師とか薬剤師がリーダーになったとして、彼らが治療の責任をとってくれるのだろうか。もちろん、取らない。医師が責任を取る以上、医師がリーダーになって決定するしかない。

異職種を交えてカンファレンスをしても、共通言語がないので、通じない。かつて、医師のカンファレンスに看護師や薬剤師や検査技師が参加するということがあったらしいが、結局、何の意味もなかった。拘束時間が増えるので業務効率は確実に低下する。

チームを作って、カンファレンスで方針を決定すると、全職種が決定に参加している気がして気分がいいということがあるが、結果には大した影響はない。自己満足である。

チームなんか作らず、主治医が各職種の話を聞いて、独裁的に決定した方がいい。時間がかからないし、責任の所在がはっきりする。

医療職とは、軍隊みたいなものだ。士官(医師)は、下士官や兵の助言を、参考として聞くことはするが、方針を決定し、その責任を取るのは士官である。話しあったりしない。部下の役割は、決定に参加することではなく、忠実に命令を実行することである。

持ち家

賃貸と持ち家とどちらが得かは、投資論争になってしまうので簡単には結論が出ない。ここでは、金額には換算できない、持ち家の決定的なデメリットを書いてみたい。

住居が固定されることである。

人生は何があるかわからない。失業や転職や健康問題に伴う通勤場所の変更がありうる。遠くの学校に進学したくなることがある。火災や犯罪被害や災害で住居を失うことがある。結婚や離婚や出産や家族の死去や子どもの独立などで、家族構成が変わることがある。

そういう場合は、適切な住宅の位置や大きさが変化するので、住宅を変更しなくてはならない。遠距離通勤通学は体に良くない。セカンドハウスを確保する場合、多額の追加費用が必要だ。転居が最善のオプションである。

持ち家の場合は、転居の自由が極端に制限される。賃貸は契約を解除して、別の賃貸を契約すればいいだけであるが、住宅は簡単に売り買いできないからだ。

転居オプションがなくなると、それだけで、人生の選択肢は極端に狭まる。

有利な求人は、転居を前提にしないと、応募できない。

こどもの場合ですら、進学先は、親元を離れる前提で選んだ方が、賃貸住宅の費用を含めて計算しても、より有利な選択ができることが多い。

自分は医師だが、医師求人の報酬は、西低東高である。研修医(1年目医師)ですら、東北では年俸700万円である。